言葉

深野に寄せて

9月23日、奈良県宇陀市深野という場所で野外移動型パフォーマンス「鹿の顎、ヘリポート、辺景」を開催させていただいた。

開催にあたるサポート、そしてアートディレクションを中野温子さん、共演は今年から『みゝず』というユニットで一緒に活動している菊池航くん。会場である宇陀市深野は奈良県と三重県の境目に位置する山の上の集落。 三重の街と奈良の山々、間を走る近鉄電車が小さく見える、雲の上のような場所。 先述の中野さんから彫刻家のなかむらなつきさん、そして深野にお住まいの北森義卿さんをご紹介いただき、深野の休耕田二箇所でパフォーマンスをすることに。春に初めて伺ってから、夏、秋、そして本番と、季節の変化と共に本番の日を迎えた。 当日はびっくりするほどの秋晴れ。

空にはうろこ雲。虫たちも元気に秋の訪れを奏で、彼岸花やコスモスが満開で私たちを迎えてくれた。最寄駅の近鉄三本松駅からは公共交通機関がなくアクセスしづらい場所だっだが、県内外からたくさんの友人、知人たちが駆けつけてくださり、深野の方々も足を運んでくださった。

パフォーマンスは二部構成で、一部は二箇所で展開。一つ目の場所は、初めて深野に伺った時に中野さんと鹿の顎の骨を拾ったことから「鹿の顎」と名付けた休耕田。私は集合場所である深野集会所からお客さんと一緒に移動。菊池くんが畑で待っていてくれて、先に踊り始める。刈った後の草を積み上げているのを見て、私もその流れに乗って踊りが始まった。15分くらい踊りをご覧いただいた後、皆さんと一緒に「ヘリポート」へ移動。この日のために『みゝず』の旗も作ったので、ちょうど良い枝を見つけてフリフリしながら。少し暑いくらいの道すがら、とんぼが目の前を通り過ぎたり、夏に満開だった花が枯れて新しい色を帯びていたり、日陰の湿った土の匂いやきのこが現れたりしていた。

少し歩いて「ヘリポート」に到着。昔は田畑として使われ、今はヘリポートとして関西国際空港からの旅行客を受け入れる場所だそうで、段々状の土地になっている。ふーっと一息ついてから、パフォーマンスを開始。菊池くんと向き合い、呼応しながら。手渡された枯れ草の音が美しくて聴き入りながら上の段に上がると、猪が駆け巡った後があった。これは私も走らねば!と思い(私は亥年です)ぐおーーーーーぐおーーーーーと走る、走る、走る。彼も走る。登ろうとする。どこかにいなくなる。あ、光が射してきた。あ、ここにも、あそこにも、あー。そうやって駆けていく。野球をしている少年がいて、話しかける。稲を持ち上げる。二人でどんと、かぶる。彼は坂を駆け下りた。

第一部終了。お越しくださった皆さんとお話ししたり、控え室でお昼寝させていただいたり、集会所で写真の展示をなさっていた写真家の小出圭吾さんや深野の方ともお話しさせていただいた。コーヒーとおかき、とっても美味しかったなあ。

 

そうこうしているうちに第二部の時間。第一部も二部も両方見てくださる方、第二部を見にきてくださった方、皆さんのお気持ちが本当に嬉しい。そんな中、日没を迎える。場所は「鹿の顎」で、二部のタイトルは「辺景」。

辺景とは、日の照り返しを意味する言葉。太陽の光、風や景色を受け入れ、またそこから返していく。そういう応答、循環がこの畑にあると感じ、その名前に決めた。始める時に菊池くんが私に話しかけてきた「なあなあ、この石をどけたら虫がいっぱいいた」「へー」と一緒に石の裏を覗き込むと蟻がもりもり動いている。他の石をどけたり触ったりしているうちに、石の重さを感じたくなって両手に石を持つ。

湿った枯れた稲の匂い、空の色、かえるが飛ぶ、バッタが飛ぶ、追いかける。隣家から煙が流れて来る。煙を辿る。ぐっと静けさが訪れる。つがいのとんぼが飛び去るのを二人で見送る、虫の音、私にも音はあるんだろうか。空の色。あれはなんていう色だろう。土の上で踊る。空の色が変わっていく、変わっていく、変わっていく。交じり合っていく。目の前で日が暮れていく。時間の流れの中に身を置く。当たり前のことだが、私たちもその循環の中にいた。

 

日が暮れて、すべてのパフォーマンスが終了。見にきてくださった皆さんと一緒に畑から集会所へ坂を降りていく後ろ姿が、とても愛おしかった。様々なご感想をいただき有難い気持ちと、皆さんが「はぁー」っと穏やかなお顔をされて帰路についていかれるのがとても印象的だった。

 

深野での強烈な一日を体感して、改めて自分の言葉を綴ってみたいと思った。私にとって「野外で踊る」という行為は、「大自然で心もからだも解放して踊りたい」ということではない。心が躍り、踊りたいという感覚、ひらいていく感覚を感じた場所で、自分が一体どんなものを生み出せるのか、どんな対話、どんな関わり方ができるのかを自分自身に常に問うている。そういう意味では野外でも屋内でも、大きなホールでも座布団一枚の広さだって、もしくは寝転んでいたって、踊ることはできると思っているし、向き合う対象は風景だけでなく人、物事、作品なども同じことだ。

そして、景色の中にからだを置くという行為は観客への問いかけでもある。自分や他者の先入観、価値観で測っている物事を少し観点を変えて見ることで、また違う風景が見えてくるのではないだろうか。静寂に耳を澄ますこと、暗闇に目をこらすこと、ゆっくりと何かと向き合うことで、見えたり感じたりするものがあるのではないだろうか。それはささやかで、当たり前のことかもしれないが、とても大切なことだと思うのだ。

企画を共にしてくれた中野温子さんには深野の企画を通して、「伝える」ってどういうことなんだろう、という問いを受け取った気がしている。今回の企画フライヤーに私が書いた文章を記載する際、言葉のひとつひとつに絶妙な行間を置いてくれた。そのことを問うと「これはゆうこちゃんの息遣いやで」と。今回だけでなく、体感を伴った彼女の言葉や形作るものに、私はとても共感を覚えている。

『みゝず』というユニットで共に活動し、深野で一緒に踊ってくれた菊池航くん。深野の話を伝えた時「こういうことをやりたいと思ってるんやけど、一緒に踊ってくれる?」と問うと「無論」と一言で返してくれた。まだユニットとして活動するという話もでていなかった時だが、彼の潔さとその言葉に大きく後押ししてもらったし、彼と一緒に深野で踊ることができて本当に有難い体験をさせていただいた。私達は、自らのからだで「立つ」、そして相手や周りの全てと対話しながら即興で踊りを紡いでいく。そしてそれをいかなる質感で観客の前に提示していくのかということを念頭に日々稽古し、活動している。それぞれが毎日の生活の中で踊り、交わりを持ちながら、自分達が思う「踊り」をこれからも生み出していきたい。今回深野で共に体感したものは私たちの中にずっと、流れ続けるだろう。

深野の場所を本当に快く、私たちに提供してくださった北森義卿さんは、初めてお目にかかった時から、ずっと懐を開いてくださっていた。深野という場所を心から愛していて「どうぞ、どうぞ」と私達を愉快に誘ってくださった。北森さんを見ていると、場所が人をつくり、人が場所を作るという循環はきっとこういうことなんだなと感じる。

そして深野とのご縁を繋いでくださった彫刻家のたかはしなつきさん。夏に中野さんと菊池くんと深野に伺った時に、少し山の中にある池に連れていってくださった。イベントの告知用に映像を撮ろうと、私と菊池くんは池の淵で踊ろうとした。じっと池の中を見つめると、あめんぼう、飛び交うとんぼ、かえる、セミや虫の声。生きるということすべてがあった。帰り道、私達は打ちのめされていた。全てがある。一緒に踊るとか、触れるとか、そういうことじゃなくて。手も足も出ないというか、なんだろうね。なんだろうね。踊るってなんだろうね。そう言いながら、帰った。それは大きな大きな、衝撃だった。そして私たちが今、向き合いたいと思っているものでもあったと思う。この場所に連れていってくださったなつきさんにも、感謝。

最後に「室生里めぐり」という企画を取りまとめされている江本幸雄さん。江本さんはご自身も切り絵作家であり、室生里巡りというイベントを25年間続けてこられている。お手紙のやりとりや様々なお気遣い、チラシに鹿の絵を描いてくださったり、ダイナミックに私達を受け入れてくださった。江本さんにもいつか、お目にかかりたい。

関わってくださった皆様へ、あの場、あの時間に立ち会ってくださった皆様へ、心から、ありがとうございました。

・・・

帰り道、みんなで見た満月。月の話。酸素と二酸化炭素の話。虫の声がずっと耳鳴りしていた。

私たちのからだは覚えている。そして忘れていく。

深野に向かう前日には金沢、そして30日には浜松で踊らせていただく機会に恵まれ、伝えるということ、自分のからだをそこに置くことについて、深く考える時間となった。

いつも心を寄り添わせてくれる仲間達の存在に感謝しながら、また秋、冬に向けて作品をつくり続けていこうと思います。

これからも、よろしくお願いします。

2018.10.7

 

野外移動型ダンスパフォーマンス
「鹿の顎、ヘリポート、返景」
出演:高野裕子・菊池 航
アートディレクション:中野温子
協力:たかはしなつき、北森義卿、室生里めぐり2018、深野の皆様
写真:高橋拓人
2018年9月23日(日)
秋晴れの日
奈良県宇陀市室生深野にて

 


 

からだの中にあるものに

どう折り合いをつけていいのかわからない夜

打ちのめされて

ただ立つことに精一杯で

何もないということを思い知らされて

震えるほどに

生きていることに畏怖を感じる

2018.7.19

 

 

音や存在

そして光

2018.7.17

 

 

風を知る

光を知る

2018.7.8

 

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ウェブマガジン《アパートメント》

2月1日から毎週木曜日に、アパートメントというウェブマガジンに2ヶ月間に渡って文章を綴らせていただくことになりました。
普段考えていることや感じていること、踊りのことなどを言葉にしていこうと思います。
ゆったり、読んでいただけたら嬉しいです◯

 

第1回目「ただそこに在る、ということ」

第2回目「近くにあって遠い、仄かに気になる存在」

第3回目「ぽかーんとしたからだ」

第4回目「形のない比喩」

第5回目「忘れるための重なり」

第6回目「水やりをする人」

第7回目「霧の中で」

第8回目「循環する問い」

第9回目「言葉という扉」

 

そして、私の文章に音楽家の舩橋陽さんがレビューをお書きくださっています。このご縁も、またまたとても嬉しいです。
舩橋さんの文章もぜひ。

 

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息をまめる

まめるとは、
・まみれる
・一面に塗りつける
・戯れる
・仲間に加わる、交わる
・世話する、肝いりする
・仕事に精をだす
・合う、馴染む
・口が達者でよくしゃべる

という豊かな意味のある、日本各地の方言です。

この作品のタイトルを考えていた時に「息」を「どうする」のか、という動詞がなかなか見つからず、出演者全員が一緒に動いている風景を想像しながら「まめるって感じやねんなー」と頭の中に浮かびました。
「まめるなんて動詞あるんかな」と後に調べたところ、豊かな意味を持つ言葉であることを知り、タイトルに決めました。まめってます。

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フライヤーの骨は、私の背骨と骨盤の骨です。

最近の私をご存知の方は驚かれる方もいらっしゃるかと思いますが、2012年6月19日に腰の外科手術をして、現在は1年に一回経過観察を続けています。
骨盤近く、第五腰椎にビスが2本入っています。これは死ぬまで体内に入ったままです。
術後1日目、私のからだは歩くことを忘れていました。心とからだが完全に解散!した状態、不思議な体験でした。
入院中はずっと院内の手すりを持ってバーレッスンをしていました。
術後2ヶ月で退院しても、日常生活は大変でした。でもなぜか振付の機会があって、寝転がりながら稽古していました。
術後数年は、ずっと一人で稽古してました。今思えば、一人でよくやっていたなぁと思います。
からだのことを勉強したり、動き方を変えていくうちに、少しずつ動けるようになり、指導や振付の機会も増えました。
そして「誰かと一緒に踊りたい」と思うようになりました。

このレントゲン写真は、ある方向から見た「私」という、とある一人の人間の中身です。私の見えないある一面は、こんな風になっています。
人を見た目や肩書き、性別や国籍、言葉や障害、後から名付けられた何かで判断するのではなく、その人の芯を見ること。
既に表出しているものや、出来る・出来ないではなく「〜しようとする」その人の可能性や、心やからだの中の動きを大切にしたい、といつも思っています。

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34歳の私が今思う「ダンス」、それは「動き続けること」です。
それは表出する「Movement」だけではなく、物事を耕し続け、風を起こし、問いを続けることを意味します。
そしてダンスは「目の前にいるあなたと、私の間に生まれるもの」でもあります。
なぜか私は「一緒に踊りたい」と思う動物なようで、どうやったらあなたと一緒に踊れるのか、ずっとその方法を探しています。
それが動きなのか、声なのか、音なのか、描くことなのか、食べることなのか、他の何かなのか。
答えはとても明確で、それしかないもの。
そして生まれた瞬間から消えていくので、ずっと探しています。

今回のダンス甲東園では、ダンサー、役者、パフォーマー、アコーディオニストの皆さんにご出演いただきます。
それぞれが様々な分野で活動されている方々であり、これまで活動を続けてきた中で出会った大切な人達です。
私はこの人たちと「今、一緒に踊りたい」と思いました。そして「この人とこの人が一緒の空間に存在したら、どんなことになるんだろう」と想像しました。

踊るとは?
言葉とは?
声とは?
音を奏でるとは?
伝えるとは?
生きるとは?

自分自身の心とからだと対峙しながら、考え悩みながらも真摯に遊び、互いの息を「まめる」。
どんな時代でも、どんな状況でも、音楽と踊り、言葉は人と共に在る。
今を生きる私たちの姿をご覧いただけたら幸いです。

 

2017年11月10日・11日初演

「息をまめる」に寄せて

 

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初めて「振付」をしたと自覚があるのは18歳で大芸を受験する時。入試でソロを発表するという試験があって、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」に動きをつけて一人で踊った。

二年生の時に自作自演で「frame」という作品を作って踊った。
時間の流れを写真一枚一枚に例えて…という作品で、バッハの曲と映写機の音を映像学科の友人に編集してもらって使った。

三年生では自作他演で、とある和歌を元に「蜻蛉」という作品を作って男女ペアで踊ってもらった。音楽は吉松隆「聖歌の聞こえる間奏曲」。

そして四年生では卒業制作として20分ほどの舞台作品を作った。
タイトルは「The last train」というタイトル。音楽はSteve Reich。
あの世に向かうための、最終電車。その駅で、人は何を思うだろう。
舞台美術コースの友人にデザインと製作を担ってもらい、舞台前面に線路、そして小さな椅子を上手から下手に規則的に流し(なんと20分間美術さんの人力で)、それぞれのダンサーが座る椅子や、背景になる場所に立てる照明など、イメージを元に一緒に作りあげていった。

この時に美術の友人から「この作品の意図は?」「なんでこの場面はこうなるの?」「この美術は必要なのか」とたくさんの問いかけをもらった。
頭に中にあるイメージを人に伝え、それを表現してもらうその循環、一緒に作品を作っていくこと。
この時に問われたこと、二食(学食)の上でいっぱい話したこと。ダンサーに何度も何度も稽古してもらったこと。

この体験が本当に、心の底から楽しかった。
どうやったら伝えられるのか、伝わるってなんだ、伝えるってなんだ、絞り出して必死になって。そして作品は一瞬で消えていく。

「The last train」は生きること、そして死んでいくこと、その循環の意味を問う作品でした。いつか必ず死ぬのに、生きることに意味ってあるのか。 その時自分が出した答えは「意味はある」だった。

いまも、その思いは変わらない。
作品作りを通して他者と関わり、その間に生まれるものをずっとずっと感じて、見て、声を出して動いて奏でて、生きていたい。

本当に一人ではできないこと。だからいままで一緒に作品を作ってくださった人、一人一人に感謝。

そして今目の前にいる人と、今もこれからもずっと、必死に交わりたい。穏やかに、静かに。
その先へいきたいと、思う。

 

2017年11月2日

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